盧溝橋事件から学ぶべきこと
日中戦争のきっかけとなった盧溝橋事件。
橋を挟んで対峙する日本軍と中国・国民党軍。
このとき、双方が銃撃を受けました。
日本軍は、国民党軍による攻撃だと思い込み、
国民党軍は、日本軍による攻撃だと思い込んだ。
この事件が、日中戦争の発端となった。
しかし、真実はどちらでもなかった。
中国・共産党軍が、両者を攻撃したというのが真実です。
何しろ、本人たちが、そうだと証言(自白)している。
当時の共産党のパンフレットにも、こう書かれていたのだそう。
現在の尖閣諸島を巡る攻防。
これも過去の歴史を振り返れば、事態の進展がある程度、予測がつくのではなかろうか?
役者は、当時と同じなのである。
日本軍 ⇒ 日本(海上保安庁巡視船or自衛隊)
共産党軍 ⇒ 中国(工作船or中国軍)
国民党軍 ⇒ 台湾(工作船or巡視船)
日本が、海上保安庁巡視船や自衛隊を出さなければ良い。
そういう意見もあろうが、ここで引いたら、次は沖縄、その次は九州へと侵略してくるだろう。
中国はそういう国なのだ。
加えて、自作自演も考慮する必要があろう。
自作自演は、あらゆる難問や高い壁を、一気に解決してしまうだけの力を秘めている。
特に、夜間の活動には、注意が必要だと思う。
日本はともかくとして、中国あるいは台湾の船が沈む。
工作船はともかくとして、軍または巡視船が沈んだ場合、事態は一気に緊迫化する…。
そういう気がしてならない。
http://teikoku-denmo.jp/
81.仕掛けられた「日中戦争」 ── 盧溝橋事件の真実(2000.11.7)
昭和12(1937)年7月7日夜半、北京の南を流れる盧溝河に架かる橋 ── 盧溝橋(右写真)を舞台に「日中戦争」(支那事変・日華事変)が勃発しました。当時、盧溝橋の近くで、現地に駐屯していた日本軍は夜間演習を行っていたのですが、不意に暗闇から銃撃を受けました。日本軍駐屯地の近くには、支那・国民党軍(蒋介石軍)も駐屯していたのですが、銃撃を受けた日本軍は、その銃撃が国民党軍によるものと思いこみ、遂に日本軍と国民党軍の武力衝突 ── いわゆる「盧溝橋事件」が起こったのです。そして、この事件を契機として、日本は広大な支那大陸を舞台に、昭和20(1945)年8月15日の終戦迄、「日中戦争」と呼ばれる終わる事の無い戦争の泥沼へと引きずり込まれていったのです。戦後半世紀を経た現在でも、支那が事ある毎に「日本軍国主義」の歴史的事実として引っ張り出す「日中戦争」。そして、その発端となった「盧溝橋事件」が、実は支那側によって仕掛けられたものだったと言ったら、皆さんはどう思われるでしょうか? と言う訳で、今回は、「日中戦争」の発端となった「盧溝橋事件」について書いてみたいと思います。
盧溝橋事件。結論から言えば、「日中戦争」の発端となったこの事件は、決して日本軍が仕掛けたものではありません。日本軍が最初に銃撃を受けた際 ── つまり演習をしていた際、日本軍は「丸腰」(演習の為、実弾を携行していなかった)だったのです。ですから、橋本群・陸軍中将(駐屯軍参謀長)も当時の状況を、「実弾を持たずに発砲された為、応戦出来ず、非常に危険な状況に置かれた」と証言しています。それは、そうでしょう。「丸腰」の所を銃撃 ── しかも、暗闇からの銃撃を受けたのですから、堪ったものではありませんでした。しかし、支那現政権は日本軍が先制攻撃したと言い、村山富市・元首相も当地を訪れた際、「盧溝橋で往事を反省してきた」等と寝惚(ねぼ)けた発言をしています。その様な事は到底あり得ないのです。考えても見て下さい。「丸腰」で演習していた日本軍が「銃撃を受けた」と称して、自ら好きこのんで「武装」しているであろう国民党軍と事を構えたでしょうか? これこそ「暴論」と言うものです。
それでは、盧溝橋で先に銃撃したのは、国民党軍だったのか? 実は事件当時、当の国民党軍も、日本軍同様、銃撃を受けているのです。盧溝橋で銃撃を受けた日本軍は国民党軍によるものと思い込みましたが、反対に、国民党軍は日本軍によって銃撃を受けたものと思い込んだ訳です。この事件が発端となって、日本軍と国民党軍は交戦状態に突入したのですが、双方共、腑に落ちない点があり、現地解決・事件不拡大方針で交渉、事件発生後5日目に、日支両軍は停戦協定を結んだのです。つまり、日本軍はこれ以上、事を荒立てたくは無い、と言った訳で、支那との全面戦争等、最初から欲してはいなかった訳です。しかし、それでは、日本軍・国民党軍双方に「銃撃」を加え、双方を戦わせる様にし向けたのは、一体「何者」だったのでしょうか?
7月8日、つまり、「盧溝橋事件」発生の翌日、支那共産党は「対日全面抗戦」を呼び掛けているのです。これは、どう見ても、お膳立てが良すぎます。まるで、「盧溝橋事件」が起きる事を知っていたかの様な手際の良さです。と言うよりも、間違いなく共産党は、事件が起きる事を知っていました。それは、何故か? 実は、「盧溝橋事件」は何を隠そう、共産党による「謀略」だったからです。つまり、共産党の工作員が夜陰に乗じて、盧溝橋付近に駐屯していた日本軍・国民党軍双方に発砲し、両軍が交戦する様にし向けたのです。その証拠に、共産党軍の兵士向けのパンフレットには、
「盧溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって行われたものである」
とはっきりと記述されていました。又、昭和24(1949)年10月1日、「中華人民共和国」成立のその日、周恩来首相も、
「あの時(盧溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ」
と発言しています。共産党自らが「自白」しているのですから、これ以上の証拠はありません。
「盧溝橋事件」は、共産党による「謀略」だった。当時、国民党に対して劣勢だった共産党は、「起死回生」を図る為、日本軍・国民党軍双方を戦わせて疲弊させ、「漁夫の利」(つまりは、支那全土の支配権)を得ようと考えたのです。結果的に狙いは的中し、日本はその後、8年間の長期にわたって、広大な支那大陸を舞台に「日中戦争」を戦わされる羽目になりました。更に、その後、共産党は国共内戦で国民党に勝利し、遂に支那全土の支配権を獲得、「中華人民共和国」を建国(1949年)したのです。その意味においては、「盧溝橋事件」とは、日本軍が共産党軍(支那)に「填(は)められた」訳で、「日中戦争」とは、日本が支那に「仕掛けられた」戦争だった訳です。
余談(つれづれ)
江沢民(支那国家主席)は事ある毎に、日本の「過去の戦争責任」・「正しい歴史認識」等と称しては、「日中戦争」によって「中国を侵略」した日本を糾弾し、「反省とお詫び」を要求しますが、そもそも、「日中戦争」の発端となった「盧溝橋事件」は、共産党軍が日本軍に仕掛けた訳で、「正しい歴史認識」と言うのであれば、先ず、「盧溝橋事件」における共産党軍の姑息な謀略行為を公式の場で認め、夜陰に乗じて日本軍に対して銃撃・挑発した事を「謝罪」すべきです。そして、「日中戦争」と言う両国の間に横たわる「不幸な過去」を招いた責任を自己批判すべきでは無いでしょうか?
議員5人で4つのポストを要求/国民新党
明日、内閣改造が行われる予定です。
ところで、党を作った亀井さんを追い出して、国民新党を乗っ取った面々。
現在の所属議員はわずか5名。
それなのに4つものポストを要求しているのだとか。
これまた強欲ですなぁ。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00232511.html
野田首相、10月1日に内閣改造へ 国民新党、4つのポストを要求
FNN (09/29 17:01)
野田首相が10月1日に行う内閣改造をめぐり、衆参両院で国会議員5人の国民新党が、あわせて4つのポストを要求していることがわかった。
野田首相は28日、国民新党の自見代表と会談し、郵政民営化担当相での入閣を要請した。
会談で国民新党側は、これまで通り、金融担当相の兼務を求めたうえで、副大臣か政務官のいずれかを含む、あわせて4つのポストを要求した。
国民新党の自見代表は「(野田首相に)きちっと連立組んだ初心にかえって、しっかりやっていっていただきたいと言った」と述べた。
国民新党が強気の要求をする背景には、民主党の危機的状況がある。
民主党は、衆議院では単独過半数割れのおそれがあり、参議院でも第1党からの転落が目前で、内閣不信任決議案の可決や、参議院議長を手放す事態が現実味を帯びている。
国民新党の幹部は、「参議院で民主党と統一会派を組むかどうかは、改造人事を見るまで結論を出さない」と述べ、人事面で優遇するよう、野田政権をけん制している。
「君が代」を嫌がる理由
カッ、カメムシがーーーとか。
銃剣で中国兵を突く兵隊の姿が出てくるとか、
首吊っているイメージが出てくるとか、
のどから胃にかけて太い杭を打ち込まれるような痛みが断続的に襲ってくるとか、
君が代斉唱のときに起立すると、こんな精神異常が起こる。
以前、こんな内容を記事にしました。
http://oyoyo7.blog100.fc2.com/blog-entry-1279.html
どうみても、世界でも数少ない温和な歌詞だと思いますが…。
他国のものと比べれば、その違いは歴然です。
でも何故そんなに毛嫌いするのか??
いま、その謎が解けた気がします。
それはこの船。
えっ??

名前は、なんと「君が代丸」
(写真は第二君が代丸)
こんな名前の船があったんですね。
君が代丸 (ウィキペディアより)
君が代丸(きみがよまる)は、1922年から1945年にかけて日本統治時代の朝鮮の済州島と大阪を結んで尼崎汽船が運航していた貨客船である。第一君が代丸と第二君が代丸の2代が存在した。当時、日本と朝鮮半島を結ぶ航路としては、関釜連絡船以外で数少ないものであった。
日韓併合時代に、朝鮮の済州島と大阪を結んでいた民間の貨客船。
出稼ぎのため、朝鮮人たちは、この船に乗ってやってきた。
何のことはない。
単なる出稼ぎです。
だがこれを認めると、彼らが主張する強制連行。
日本軍によるものとされていますが。
これが崩れてしまう。
運賃は、当時の労働者の月給の2倍ほど。
もちろん、これを支払って、はるばる日本までやってきた。
それだけのメリットがあったから。
つまり、要約すると、自分の意思で来た。
強制連行はウソ。
こういうことになる。
そもそも、日本は強制連行なんてしないし、する必要もなかった。
しなくても、自らの意思で、勝手に大勢やってきたのである。
強制連行はウソ。
そうすると今度は、自分たちやご先祖様の犯罪歴が、過去に遡って芋づる式にばれてしまう…。
心理学的というか、精神衛生上というか、確かにそうかもしれませんね。
誰でも、人に知られたくないことの1つや2つはあるはずです。
その言葉を聞くと、誰もが心臓がドキンとする。
在日朝鮮人にとって、その言葉が「君が代」
そう考えると、「カメムシがーーー(心臓バクバク)」となるのも分かる気がします。
君が代反対理由は「軍国主義の象徴」等あるが海外国歌はどう(ポストセブン) きみがよ丸 が真実でした!
http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/371.html
投稿者 木卯正一 日時 2012 年 4 月 01 日 00:28:43: xdAt6v.ugMgqA
「君が代は軍国主義の象徴だ」「忌まわしき戦争を思い出す」――こうしたフレーズは、
国歌斉唱時の不起立を貫く教師たちや、それを支援する団体・メディアが展開する
「起立反対理由」のひとつである。
では、世界各国の国歌はどのような歌詞なのだろうか。先進国だろうが途上国であろうが、
あるいは民主主義国家であろうが独裁国家であろうが、日本人が読めば驚くほど
「暴力的」で「好戦的」なのである。
世界の国歌を紹介した『国のうた』(文藝春秋)の著者で作家・ジャーナリストの
弓狩匡純(ゆがりまさずみ)氏が解説する。
「国歌の歴史は比較的浅く、近代国家が誕生した時に独立国としての
アイデンティティを表現するものとして作られたケースが多い。
歌詞にはその国の歴史や民族性のほか、戦争をイメージするものが多く、
曲調は軍隊の行進曲を踏襲したものが目立ちます」
侵略の時代を賛美する国歌の一方で、侵略に抵抗した戦争や兵士を称える国歌もある。
近世以降、強国のドイツ、ロシアの狭間で何度も国家消滅の悲劇に見舞われたポーランドの国歌
「ドンブロフスキのマズルカ」(1927年制定)の歌詞は悲壮感に満ちている。
〈ポーランドは決して屈しない。我らがこの地にいる限り、
たとえ敵に蹂躙されようとも、剣を持って闘い、討ち取ってみせる〉
ちなみに「ドンブロフスキ」は18世紀の将軍でポーランドの英雄と呼ばれる人物。
「マズルカ」は同国の民族舞踊である。
長い歴史を持ち、大国の印象が強いイタリアの国歌「マメーリの賛歌」はこんな歌詞だ。
〈我らは何世紀にも渡って踏みつけられ、笑い者にされてきた。(中略)団結の時はすでに告げられた。
さあ隊列を組もう。我らは死を恐れない〉
自らを「笑い者」という自虐的な表現を許容するあたりが大らかに思えるが、
それでも最後は「死を恐れぬ覚悟」を呼びかける。
中国国歌「義勇軍進行曲」の題材は抗日戦争である。
〈起ち上がれ、奴隷になりたくない人々よ。我らの血と肉をもって新しき長城を築こう。
(中略)我ら万人が心を一つにして敵の砲火をかいくぐって前進しよう〉
http://www.news-postseven.com/archives/20120330_97684.html
イギリス国歌
女王に勝利と幸福と栄光を
フランス国歌
武器を取れ、市民たち きみらの部隊をつくれ
アメリカ国歌
砲弾が赤く閃光を発し、砲弾が空に炸裂する中にあっても、
我々の旗はずっと要塞にはためき続けていていたのだ
ドイツ国歌
幸福の輝きの中で栄えよ 我が祖国ドイツよ!
イタリア国歌
友よいざ隊を組み 死に臨まん 死に臨まん
中華人民共和国国歌
敵の砲火をついて進め!
敵の砲火をついて進め!
進め!進め!進め!
何故かこのセンセイ達はこういうのも、ガチ軍国主義の特アも、
ガチファシズム学校の朝鮮学校も無視なんだよね♪
思い出したくないから忘れようってか
こんな人間が教師じゃまた無謀な戦争繰り返すな
そして本題はここから!
君が代丸
376 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/03/26(月) 23:40:53.22 ID:Rd887ASo0 [2/2]
在日一世や二世は自分たちのルーツを知っています。
済州島と大阪を結ぶ定期便の名前が、 【きみがよ丸】だったからです。
日韓併合時代の済州島民にとってきみがよ丸の名前を知らない人はいなかったでしょう。
この船の名前がおおっぴらになると在日朝鮮人達に何が起こるか。
強制連行がウソであるという動かぬ証拠がきみがよ丸。
(この出稼ぎ用の定期航路は大人気で、のちに第二きみがよ丸も就航するほどだった)
・詳しく調べれば、きみがよ丸に乗ってきた善良な人達はあらかた帰還事業で 帰国 したことが解る。
・さらに調べれば、朝鮮戦争当時に日本へ密入国してきた朝鮮人達がクローズアップされる。
・もっと調べれば、李 承晩ラインの時に釈放された在日の凶悪犯達のことも 白日の 下に晒される。
・つまり自分たちの先祖達が凶悪犯だらけってのが。
実に論理的に判明してしまう。
在日朝鮮人達がなんとしても隠し通したい上記のことを、
君が代を聴いたり目にしたりするたびに思い出してしまうから君が代をあそこまで憎む理由。
在日は君が代のメロディでも歌詞でもなく、【きみがよ】という
4文字を見たり聞いたりするのが何よりもイヤだったのです。
君が代の出だしを聞くだけで自分たちの祖先が悪人であると思い知らさる。
それが日本人にばれるんじゃないかと気が気ではない。
君が代の歌詞カードなんかを見ても同じ心境になる。
君が代で血圧上がるとか幻覚見えるとか言う奴は精神病じゃあなくて上記の心境ゆえなのです。
だから何としても日本の国歌を君が代から別の物に変えようとしているのです。
213: 名無しさん@12周年:2012/03/30(金) 09:00:37.05 ID:0n1GDJZv0
504 :本当にあった怖い名無し :sage :2012/03/27(火) 08:35:49.02 ID:XC47NdoH0
>>491
「きみがよ丸」についてちょっと気になってググったら、こんな論文が。
<君が代丸>についての歴史的考察
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006487152
で、その中にこんな経緯が書いてあった。
1. きみがよ丸、運賃が高いと済州島住民がゴネる。
2. 運営会社、一蹴。
3. ファビョった済州島住人、自分たちで船を借りて運賃半額の組合設立。運行開始。
4. きみがよ丸、仕方なく運賃を下げる。
5. 組合、きみがよ丸に対し強引な客引き等、営業妨害開始。
6. 組合、船を借りたのと運賃下げ過ぎで大幅赤字。
7. 懲りずに資金集めて船を買う。
8. 大赤字で自爆
9. きみがよ丸、元の運賃に戻る。以降終戦まで運行
なんというかまぁ・・いつも通りだなw
http://blogs.yahoo.co.jp/raindoropblue/22490600.html
生野コリアンタウン
もともと古代からこの地は渡来人が多数住みついており、旧地名である「猪飼野」の起源となっている。
1910年の日韓併合を経て、1923年に済州島と大阪をつなぐ直行便「君が代丸」の就航をきっかけに、
多くの朝鮮人が労働のために日本へ渡航し、当時工業地化しつつあった猪飼野周辺に集まってきた。
こうして自然と朝鮮市場が誕生し、それを核に商店街としてスタートしたのもこの頃である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/生野コリアンタウン
てかクビでいいよ 誰も困らん♪
まぁ、こんな心配しなくても、もう既にばれているんですが。(笑)