獣の数字の解釈

 
先日から、ずっと考えていました。
獣の数字:666。

「ここに知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である」 『新約聖書』の『ヨハネの黙示録』(13章18節)

この獣の数字、我々の生活の中に、既に広く浸透している。
ある目的の下で、我々は支配されているともいえよう。

たとえば、バーコードにある3つの長い線。
左右と中央の長い線は、それぞれ6である。

(ウィキペディアより)
バーコード例

URLの頭につける「www」もヘブライ語では「666」を意味する。
ネットの世界も支配されている。


古来より、この数字の意味について、様々な解釈がなされてきた。
そして現在に至っても、統一した見解は出ていないようである。

ウィキペディアには、以下のような代表的な解釈がある。
いずれも似たような解釈である。
何らかの計算をしている。




獣の数字 (ウィキペディアより)

獣の数字(けもののすうじ)は、『新約聖書』の『ヨハネの黙示録』に記述されている。以下に引用すると、「ここに知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である」。(13章18節)


解説
この数字の意味については、古来より様々に解釈されてきた

皇帝ネロ説
自由主義神学の高等批評による聖書学では、ローマ皇帝ネロを指すという説が最も支持を得ている。即ち、皇帝ネロ(Nero Caesar)のギリシア語表記(Νέρων Καίσαρ, Nerōn Kaisar)をヘブライ文字に置き換え(נרון קסר, Nrwn Ksr)、これを数値化し(ゲマトリア)、その和が666になるというもの。ヘブライ文字はギリシア文字のように、それぞれの文字が数値を持っており、これによって数記が可能である。この説は、直前の皇帝崇拝らしき記述とも、意味的に整合する(一説によれば、貨幣経済の比喩ともいわれる)。写本によっては、獣の数字は666でなく、616と記されているものもある(詳細は後述)。この場合は、本来のラテン語式に「ネロン」ではなく「ネロ」(נרו קסר Nrw Ksr)と発音を正したものと解釈できる。

ローマ教皇説
また、この数はローマ教皇(=ローマ司教)を指すとする説が、かつてプロテスタント間で反カトリック教会の喧伝として流布したこともある。それによれば、666とはラテン語で「神の子の代理」を意味する"Vicarius Filii Dei"の、ローマ数字部分を足し合わせたものと一致する、という(V=5、C=100、I=1、L=50、D=500)。しかし、Vicarius Filii Dei がローマ司教の肩書として歴史的に使われたことはなく、加えて、ヨハネ黙示録の思想からも、また西暦100年前後の時代状況とも不適合なことから、今日ではプロテスタント系の学者からも、全く支持を得ていない。ごく一部のプロテスタン教会(セブンスデー・アドベンチスト教会など)では、未だに主張されているとのことである。

ニーコン総主教
666は反キリスト(シヴァ=3つの目を現す為[要出典])を指すものとして捉えられてきたが、ロシア正教では1654年に総主教ニーコンによって行われた典礼改革に反発して破門された古儀式派(ラスコーリニキ)が1666年を反キリスト出現の年と解釈する動きが生じた。その根拠として、総主教ニコン(198)、彼を総主教に抜擢した皇帝アレクセイ(104)、ニコン配下のギリシャ人典礼校訂者アルセニウス(364)の3つの数字の和が666で獣の数字と一致する、という説が唱えられた。ちなみに古儀式派が破門されたのも高位聖職者会議の開かれた1666年から1667年の事である。

エホバの証人
また、エホバの証人は、6は7が象徴する完全さに達しない事を表すとし、さらに6が3回繰り返される事は強調を表すとし、獣は人間の諸政府を表すと捉える事から、この数字は「神の完全さの基準に達しない,この世の巨大な政治体制」[1]を指すと解釈している。

創世記
創世記と関連させると、神の創造の6日目に獣が創造され、人も同じ6日目に創造され獣を支配していることから、支配される獣と同カテゴリとしての人間を指し、この数字によって達成させられる相対的に大きな数字が666になる。ただし、対比する神の刻印には数字も名前もないので無限である。キリストのような奇跡を行うほどに、その大きさを誇る人間の偉業でさえも、神の前では有限であり、印を押させた獣は地中から生じた獣であることから、すべての土の器を持つ者に生じ得る活動であり、支配・管理そのものを目的とする組織を生じさせることが暗示されている(教会組織であっても創造主を意識しない人の力に依存した活動になれば、支配を目的とするようになるので、智恵により見分けることが求められている)。




これらの解釈は、いずれも足し算などの計算をして、数字としての意味を見出そうとしている。
果たしてそれで答えが出るのであろうか?

私には、そうとは思えないのである。

そもそも、何故、数字なのだろうか?
これを解かないと、意味がないのである。

あなたは、知っている獣に数字をつけるだろうか?
たとえば、キリンなら135とか、ゾウなら482とか、カバなら905とか。

つけても意味がないことに気付くだろう。
計算してどうこうしても、まるで意味がないのである。

キリンの長い首が幾らで、ゾウの長い鼻が幾らで、カバの大きな口が幾らで・・・。
これでは、マージャンか花札の点数を数えるのと同じである。
あるいは、引越し業者の電話番号だろうか。 (笑)

そんな次元の問題ではなかろう。
これが1番目のヒントである。



では次に、誰が何のために、決めたのであろうか?

『新約聖書』の『ヨハネの黙示録』に記述があるとのことである。
ヨハネとは、キリストの使徒(重要な弟子)の一人である。

一方、この数字は、獣(けもの)であり、動物だとはいっていない。
ここに、蔑む(さげすむ)意図を感じる。

さらには、人間が「獣」であると述べている。
獣なのだ。

普通の人なら、ここに矛盾点を感じるはずだ。
自分が「人間」であるならば、自分も「獣」になってしまう。
こんな予言めいたことを書く人物ならば、自分自身が獣であるとは、決して言うまいと思えるのである。

では、獣でなければ、いったい何であろうか?

その答えは、おそらく「神」、あるいは「神の使者」であろう。
人間とは、一線を画す存在である。
事実、ヨハネはキリストの弟子である。


ところで、自分が神(または神の使者)であると名乗る人物は、意外に多い。
日本の場合、新興宗教の教祖の多くはそうだ。

海外では、新しいものだけでなく、古くからある宗教でさえそうである。
自分自身が神(または神の使者)であると思っている。

日常生活に、神が深く関わっている。


では、神と人間の違いは何であろうか?
神とは、「人間にはない能力をもっている存在」ということで、古今東西の区別なく同じ答えが出よう。

人間には見えないものが見え、人間には聞こえないものが聞こえ、人間には感じないものを感じる。
さらには時間空間を越えて、万物を知り尽くしている。
すなわち、現在過去未来を知り、離れた場所の出来事も知っている。

こんなところだろう。
これができるならば、人間の姿をしていても、神(または神の使者)だと崇めるに違いない。

これが2番目のヒントである。



さて、これらの解釈から出てきた、私なりの答えである。
勘の鋭い方は、もう分かったかも知れない。

数学上の数字に意味があるのではなく、目に見える形・記号としての666。
人間も含め、大半の動物(獣)では、共通の外観をしている。

人間も含め動物は、主としてこれらの感覚器官を通して外界からの情報を入手し、解析したうえで、次の行動の判断材料としている。
それは、目であり、耳であり、鼻である。
下手な漫画だが、描いてみた。 (笑)

666顔


神の存在からすれば、我々の五感は、ごくごく限られた感覚の一部にしか思えないであろう。
五感に留まる存在は、人間を含めてすべて獣。

これらを超える第六感、あるいはそれ以上のものを有する存在が、神(または神の使者)である。
もちろん、この預言書を書いたヨハネは、自分自身がそうであると、思っていたに違いない。


まぁ、いつもの妄想です。 (笑)
これが真の答えであるかどうかは、分かりませんが。

 
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