証紙貼付銀行券

 
終戦後、ハイパーインフレに対処するために、新円への切り替えが行われました。
でも、準備が不十分なまま行われたため、新円札の製造が間に合いませんでした。
そこで、旧円札に証紙を貼って、新円とみなしました。

この証紙、実物を見たことがなかったので、いろいろと検索して見つけました。
まさに、灯台下暗しですね。
何のことはない、日銀の公式サイトに載っていました。

証紙貼付銀行券2

切手か、収入印紙に近いイメージですね。
こんなものを貼って、一時的にしのいだようです。

通用したのは、およそ8ヶ月間。
新円札が広く流通するまでの短期間でした。

預金封鎖 ⇒ 旧券を無効 ⇒ 旧券を銀行へ強制的に預入 ⇒ 一定の限度額に限って新円の引き出しを認めるという順番だったようです。

終戦の半年後に、いきなり始まりました。
でも当時、噂は漏れていたようです。
知っている国民もいたようです。

もし、近い将来同じように預金封鎖が行われるのならば、同じような経緯をたどる可能性が高いでしょう。
逆に言えば、新円札や証紙製造の噂が流れ出したら、時期は近いということになります。

(なお、この場合、世界、あるいはアジア統一通貨の可能性もあるかとは思いますが、国がなくならない限り、いきなり始まることはないかと思います)




ttp://www.boj.or.jp/announcements/education/data/are02r.pdf

新円切り替えと証紙貼付銀行券

第二次大戦後のわが国では、戦災により企業等の生産設備が打撃を受け、生活物資の供給不足が生じました。そうした中で、旧軍人への退職金の支払いなどにより臨時軍事費の支出が嵩かさみ、これに伴い、物価が高騰し、預貯金の引き出しが激しくなり、銀行券の発行高が急激に増えるなど、猛烈なインフレーションに見舞われました。

政府は、この激しいインフレーションに対処するため、1946年(昭和21年)2月16日、「総合インフレ対策」を発表しました。この総合対策の柱となったのが、「金融緊急措置令」と「日本銀行券預入令」です。これらは、
①同年2月17日以降、全金融機関の預貯金を封鎖する、
②流通している十円以上の銀行券(旧券)を同年3月2日限りで無効とする(同年2月22日、五円券追加)、
③同年3月7日までに旧券を強制的に預入させ、既存の預金とともに封鎖する一方、新様式の銀行券(新円)
を同年2月25日から発行し、一定限度内に限って旧券との引き換えおよび新円による引き出しを認める、
というものでした。

これが、いわゆる「新円切り替え」です。

さて、この総合対策の一環として、様式を変更した新しい銀行券の発行と、旧様式券の流通停止を準備していましたが、同対策の実施時期が当初想定より半年程度繰り上げられたため、新様式券(A一円・五円・十円・百円券)の製造が時間的に間に合いませんでした(発行開始は、A百円および十円券が3月1日、A五円券が同月8日、A一円券が同月20日)。そこで政府は、新様式券の代わりに、同年2月20日公布の「日本銀行券預入令ノ特例ノ件」によって、千円、二百円、百円および十円の証紙4種(唐草模様をあしらった簡単なもので、大きさは縦27mm×横18mm程度)を発行し、これを旧券の表面に貼付することで臨時的に新円と見なすこととしました。これが、「証紙貼付銀行券」と呼ばれるものです。

証紙は、日本銀行のほか、各地の金融機関に配布され、1枚1枚の銀行券に糊付けする作業が徹夜で行われたと言われています。また、こうした通貨措置計画は秘密裏に進められていましたが、いつのまにか国民に知れ渡るようになってしまいました。「五円以下の小額紙幣は封鎖を免れる」というので、多くの駅で十円券や百円券で五円以下の釣り銭目当てに切符を買おうとする人々が長蛇の列を作ったほか、たばこ屋でも同じような現象が見られた(当時ピースという煙草が七円だったため十円券で買入れ)、というエピソードが残っています。

なお、臨時的に発行された証紙貼付銀行券は、徐々に新様式券の発行元が充実していったため、1946年(昭和21年)10月末をもって通用が停止されました。


 
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