日食 中国での伝え

 
今日の金環日食。
中国南部でも観測されたようです。

中国では古来より、日食は不吉な現象だと捉えられてきました。
その欠けてくる方向から、発生する災害の種類が分かったのだそうです。

例えば、
①:日食が上部から始まれば天子の政に誤りがあり、
②:横から始まれば内乱や大きな兵乱が起こり、新たに天子が立つ兆しとし、
③:下から始まれば妃や大臣が自ら恣とするとした
のだそうです。

今回の日食は右上から欠け初め、左下へと抜けていきました。

つまり、古来の伝えに従うならば、①と②。
天子の政に誤りがあり、内乱や兵乱が起こり、新しい天子が立つ兆し。

状況だけなら、確かに当たっている気がします。
さて、今後どうなるやら。



日食 (ウィキペディアより)

中国

中国では、日食を天の警告とみなしており、よって統治者は日食の観測に非常に関心を示し、そのため中国では整っていて豊富な記録が残された。日食は「天狗食日」という天狗が日を食べることと見なされ、銅鑼を叩いて天狗を追い払わなければいけなかった。「日蝕説」によれば「日者,太陽之精,人君之象。君道有虧,有陰所乘,故蝕。蝕者,陽不克也。」(仮訳:日は太陽の精気で、君主の象徴である。君主の道に欠ける所があれば、陰に乗じられることとなり、日食が起こる。日食とは陽が勝たないことである)という。 夏では、羲和が日食の観測を怠ったため、斬首されたという[2]。ただしこれの出典の箇所は後代の偽作と言われている。最も早い日食の記録は『詩経』「小雅・十月」の「十月之交、朔月辛卯、日有食之、亦孔之丑」である。統計によれば、甲骨文字の記録を除いて、春秋時代から同治11年まで(紀元前770年 - 1874年)で、記録された日食は985回(その内誤りが8回)で、日再旦(日の出の時間に日食が発生し、あたかも日の出が2回あるように見える)という現象の記録もある。『乙巳占』で、李淳風は日食は天子が徳を失ったことの表れとした。日食はたいてい天子の死や国の滅亡を予告しており、兵乱や天下の大乱や死亡や失地を引き起こすとした。発生する災害の種類は天象の具体的な表現から分かるとした。例えば日食が上部から始まれば天子の政に誤りがあり、横から始まれば内乱や大きな兵乱が起こり、新たに天子が立つ兆しとし、下から始まれば妃や大臣が自ら恣とするとした。漢の張衡は、「靈憲」のなかで日食と月食に対して合理的な科学解釈を提出し、原理を説明をした。漢代の京房は水盆で日食を観測し、直接太陽を見ることによって目を傷つけるのを避けた。後代、水は油に代わった。元代の天文学者郭守敬は、独自に開発した仰儀を用いて観測した。

また北京天文台には日食神話を描いた石の彫刻があり、以下のような説明が添えられている。

「この彫刻の絵は日食の原因を説明している。金烏(太陽の象徴)の中心がヒキガエル(月の象徴)によって隠されている。漢時代の人々はこの現象を太陽と月の良い組み合わせと呼んでいた。」

ここで金烏とは金色(太陽)の中にいるという三本足の烏(八咫烏を参照のこと)であり、ヒキガエルは月のクレーターの形に由来するものである。この解説文からは、当時の文化において天文現象としての事実の認識と現象に対する愉快な見立てとが両立していたことが窺える。


 
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