「中国」は日本の「冊封国」

 
冊封(さくほう)。
自らは中国皇帝となり、周辺国を臣下に置く制度です。

その昔日本も一時期、遣隋使や遣唐使で、この体制に加わっていました。
しかし、その危険性を認識し、その後脱退しました。

何のことはない。
わざわざ、家臣にしてくれと、はるばる遠くまで行っていたに過ぎないのです。
おまけに、主君と仰ぐほどの人物・国家ではなかったということに気が付いたのです。

考えてみれば、ばかばかしいことです。
先日の記事でも、少し触れました。


ところで、2009年末にあった出来事。
中国の次期主席候補:習近平「中国」国家副主席が、天皇に謁見しました。

そのゴリ押しともいえる会見のやり方が、保守層から大きな反発を食らいました。
このことは、記憶に残っている方も、多いかと思います。

だがこの会見は、事実関係だけを拾い、見方を変えると、こうなります。

そなたを次期「中国国王」に冊封す!

つまり、この冊封の逆バージョン。
日本が、中国の副主席を、次期主席として認定したということです。

このことは取りも直さず 、

「中国」は日本の「冊封国」である!! 

ということですね。
ごり押しして、不遜な態度を取って優位性を固辞しても、実は逆効果だったようですね。



http://teikoku-denmo.jp/

247.そなたを次期「中国国王」に冊封す! ── 「中国」は日本の「冊封国」である!! (2012.6.14)

扨(さて)、その習副主席が、鳩山政権下の平成21(2009)年12月14日に来日、翌15日に皇居・宮殿「竹の間」に於いて天皇陛下と特例会見(正確には「引見」である)した事は未だ皆さんの記憶にも新しい事でしょう。この特例会見に付いては、外国要人が天皇陛下との会見を希望する場合、天皇陛下の日程調整の関係から外務省から宮内庁に対し、会見当日の1ヶ月前迄に文書で申請する取り決め ── 所謂(いわゆる)「1ヶ月ルール」に則(のっと)り、「中国」政府から正式に習副主席の訪日並びに天皇陛下との会見希望日程が伝えられたのが1ヶ月を切る11月23日(更に外務省から宮内庁に会見打診が伝えられたのは11月26日)だった事から、宮内庁から外務省・政府に対し「会見には応じられない」旨の返答が為されました。これに基づき日本政府は「中国」側に対し、天皇陛下と習副主席の会見は、

天皇陛下の健康状態を理由に不可能

であると一旦は回答したものの、12月10日に民主党国会議員143名を含む総勢483名からなる訪中団を率い、北京の人民大会堂に於いて胡主席と会談した「陰の総理」小沢一郎・民主党幹事長を通じての「中国」側からの強い圧力に屈した鳩山由紀夫・総理自らが「ルール」を破って、会見当日の僅か4日前の12月11日と言う常識的に考えれば到底あり得ない日に会見を行う事を発表。そして、実際に12月15日、天皇陛下と習副主席の特例会見が行われたのです。

この特例会見に付いては、自民党政権時代から慣例として守られてきた「1ヶ月ルール」を民主党政権が破って強引にセットした事から、『産経新聞』が紙上に於いて、

「『政治主導』と言う名の下(もと)による『天皇陛下の政治利用』である」
「1ヶ月ルールにはご接見される陛下御自身にも準備が必要だと言う理由もある。悪(あ)しき先例になりかねない」
等と論評したのを筆頭に、保守派から痛烈な批判を浴びました。(尤(もっと)も当の鳩山総理は、「諸外国と日本との関係をより好転させる為であり、『政治利用』と言う言葉は当たらない」等と嘯(うそぶ)いてみせた) 又、天皇陛下に引見した習副主席は胡主席に代わって次期国家主席 ── 「中国の紅い皇帝」に就任するであろう事が確実視されている人物ではありますが、その肩書きは未だ「国家副主席」。詰まり、「中国の紅い副皇帝」でしかありません。その習副主席が、国際儀礼上、各国大統領(「国家主席」は英語で「President」と訳される事から、「大統領」と同格である)や英国国王(エリザベス二世女王)、更にはローマ教皇(法王)をも凌いで最上位に位置する天皇陛下(「天皇」は英語で「Emperor」と訳され、現在、世界で唯一存在する「皇帝」でもある)に引見した際、礼をする事無く握手する等、極めて不遜な態度を取った事に対しても反発の声が聞かれました。然(しか)し、ルールを無視した強引な会見セットにしろ、天皇陛下に対する態度にしろ、一件極めて不遜に写る習副主席の天皇陛下との引見に対しては、縦(よ)しんば、それがたとえ「中国」側の思惑に日本側が引き摺られたものであったにせよ、視点を変える事で全く別の側面が浮き上がってくるのです。

習副主席は何故(なぜ)、日本側に「1ヶ月」ルールなるものがある事を百も承知の上で、強引に天皇陛下との引見をセットさせたのか? それは「新たなる慣例」を踏襲せんが為です。そして、その「新たなる慣例」は平成10(1998)年4月23日に確立されたものなのです。平成10年4月21日、国家副主席の肩書きで日本を公式訪問した胡錦濤は、2日後の4月23日、皇居・宮殿「竹の間」に於いて天皇陛下に引見しました。それから凡(およ)そ5年後の平成15(2003)年3月15日、胡錦濤は江沢民(チアン=ツォーミン)に代わって国家主席に就任しました。その前例に倣(なら)い、「中国」側は今秋、国家主席への就任が見込まれている習副主席の訪日、そして、天皇陛下との特例会見を強引に実現させたのです。詰まり、この「新たなる慣例」とは、こう言う事です。


「中国」の国家主席(最高指導者)に就任する者は、
事前に日本天皇に引見しておかなくてはならない!


胡錦濤は国家副主席在任時に天皇陛下に引見し、その後、国家主席に就任した。その前例に倣い、習近平も来たる国家主席就任に先立ち、国家副主席在任中に天皇陛下に引見、地歩を固めておきたい・・・。これは、見方を変えれば、

「中国」の国家主席に就任するには、
事前に日本天皇への謁見を要する!


とも取れ、更に進んで三段論法的に解釈すれば、

「中国」の国家主席への就任には、
日本天皇の冊封が必須である!


と言う事になるのです。

冊封(さくほう) ── この耳慣れない言葉は、嘗(かつ)て東アジア世界を長きに亘(わた)って律してきた支那歴代王朝を中心とする「中華朝貢(ちょうこう)秩序」の根幹を為(な)すもので、別名「宗属(しゅうぞく)体制」共呼ばれるものです。日本は大陸と海を隔(へだ)てた島国であった事もあって、三国時代に魏と通交した邪馬台国や、六朝(りくちょう)時代に南朝と通交した「倭の五王」の頃はそうであったものの、朝鮮半島や印度支那半島の国々とは異なり、いち早くその秩序から離脱した事もあって余り実感が沸きませんが、西欧列強が清国を蚕食(さんしょく)する以前は、朝鮮半島の歴代王朝にしろ、ヴェトナムをはじめとする印度支那半島の諸国諸王朝は、強大な支那歴代王朝を「宗主(そうしゅ)国」と仰ぎ、自らは「朝貢国」・「冊封国」として君臣関係(主君と家来(けらい)の関係)を結んで、自国の安全を担保してきました。この宗属関係に於いては、各国の王は支那の皇帝に対して、皇帝の聖徳(せいとく)を讃(たた)えるのと同時に、自ら皇帝の忠実なる臣下である旨の文書や方物(ほうもつ;貢ぎ物)を献上し、その見返りとして、

爾(なんじ)を○○国王に冊封す!

と言った具合に、自らの王位(地位)を承認してもらっていました
。その観点からすれば、胡錦濤、習近平と二代に亘(わた)って国家副主席(副王)在任中に来日、天皇陛下に謁見(えっけん)し、天皇陛下との「会見」を以(もっ)て自らに箔を付けた後(のち)、国家主席(正王)に就任する(習副主席の場合は、これからだが)と言う姿勢は、私の目には正に「天皇による冊封」以外の何ものでも無い。その様にしか写らないのです。


 
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 伝えたいこと - ジャンル : 日記

現在の閲覧者数: free counters