小倉百人一首 第2番

 
百人一首。

その中でも有名なのは、小倉(おぐら)百人一首。
藤原定家が編纂した和歌集です。

でも、不思議な名称ですね。
いったん刷り込まれると、違和感を感じなくなってしまいますが。

化学の最初の授業で習った原子の構造。
これに相通じるものがあります。

『百首』あるのに、百人一首。
単なる優れた歌の百首ではないのです。

つまり、歌そのものよりも、選ばれた『百人』の方に重きがあるということですね。
優れた人物を百人選び、その中からその人物の功績や人柄を表す優れた歌を選んでいます。

人物の選考基準には、我が国のかたちや成り立ちが深く関わっています。
したがって、歌単独、つまり、詠み人を省いてしまうと、歌がもつ意味を成さない、単なる文字列に過ぎなくなってしまう。

個人名の人、公職にある人のほか、いわゆるペンネームを使った匿名の人もいます。
これにも大きな意味があり、省いてしまうと歌のもつ意味がなくなってしまうんですね。

なお公職位の場合、死後は、生前の呼び名のうちで最高位を用いるのが慣例。

たとえば、首相経験者は引退した後には、元首相と呼ばれますね。
その他の大臣や職務を経験していたり、あるいは現在は全く別の職に就いていても、必ず元首相と呼ばれる。
この点も留意が必要です。




さて、この百人一首。
解釈には、思いのほか深いものがあるんですね。

ねずさんのブログを読んでいて感心させられました。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2149.html (1~3番歌)
と同時に、日本人に生まれたことを誇りに感じ、感謝の念で一杯になりました。




そこで私も考えてみることにしました。
その結果、ねずさんの解釈はたいへん素晴らしいのですが、部分的には私なりの解釈と異なる点がありました。

そういった歌について、私なりに解説していきたいと思います。
まずは、第2番から。



第2番
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山
持統天皇(女)


(人物および時代背景)

持統天皇は第41代の女性天皇。

第38代天智天皇の娘であり、第40代天武天皇の后でもある。
第39代弘文天皇は、異母弟に当たる。
(注:ただし弘文天皇が即位していたと認められたのは、明治になってから)

壬申の乱(672年)の14年前に、天武天皇の皇后になっている。
天智天皇の死後、天智系と天武系の間で後継を巡り、壬申の乱が起こっている。

この狭間で、彼女の心は揺れ動いたものと思われる。

壬申の乱は、天智系の弘文天皇を破り、天武天皇が勝利した。
天武天皇は、我が国に律令制を確立した人物である。

氏姓制度を再編、国家神道、国家仏教を推進。
『日本書紀』と『古事記』の編纂は、天武天皇が始め、死後に完成した事業である。

天智天皇が国家の外枠を作ったのに対し、天武天皇は内の枠組みを作ったとも言えよう。

(ウィキペディアより、赤字は女性天皇)
天皇系図38~50代

(歌の解釈)

春は天武天皇が勝ち訪れた平和な時代。
夏はその治世が軌道に乗ったことを示しているものと思われる。

戦いが終わってから、もう既に一定の時間が経った。

衣は常に身にまとうもの。
つまり、自分の身内や、その側近を示しているものと思われる。

衣を干すという動作は、洗濯をするということ。
捨て去るのではない。
すなわち、衣についた汚れを落とし水に流し乾かして、再び身に着けられるようにするということ。

白妙とは、白紙を指すのだろう。
つまり、過去の争いでできたしこりを白紙に戻すということ。
仲直りだ。

実は、彼女には異母ではあるが、兄弟(天智天皇の子女)が多い。
彼らもまた自分の身内なのだ。

日本で節分にする豆撒きは歴史が古いが、掛け声でも分かるとおり、たとえ鬼であろうとも、追い払うだけである。
捕まえて殺したり、閉じ込めたりはしない。

これが大陸や半島だったならば、民族や一族郎党の皆殺しが行われる。
西洋だったらならば、捕まえられて生涯監禁される。

同様に日本の将棋も歴史が古いが、ルールでは、相手方の駒であっても、いったん取ってしまえば自分の味方として生かすことがができる。
他の国の将棋に類したゲームでは、こういうことはありえない。

日本は古来より、こういう国なのである。

殺戮はせず、生かすのである。
そして、和をもって良しとし、対立を好まない。
性善説が成り立つ稀有な国なのである。

だから彼女が衣を干すという言葉の真意は、敵方だった天智系の兄弟たちを許し、彼らの名誉を復権し、和の精神のもと、再び挙国一致の体制を目指したい。
そろそろそういう時期である。
そういう願いではなかろうか。

天の香具山は都(飛鳥浄御原宮)のそばにある山で、夫である天武天皇を指す。

最後に、「ねえ、これでいいでしょ?」と、夫である天武天皇に問いかけている。

皇統図を見て分かるとおり、この時期天武系の天皇に対し、天智系が后となり皇統が維持されている。
車の両輪、あるいは二人三脚だとも言えようか。

天武・持統両天皇の息子:草壁皇子の后として、のちに元明天皇となる天智系の姫を迎えたい。
そうすれば、すべてが丸く収まる。

なお、二人が結婚したのは、壬申の乱の7年後の679年頃だと言われている。(ウィキペディアより)



この歌の趣旨は、私には、このように感じましたが。
読者の皆さんは、どうだったでしょうか?

 
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