小倉百人一首 第5番、第8番

 
今回は第5番と第8番です。
私なりの解釈を、下記に述べます。

なお、ねずさんの解釈はこちらです。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2152.html (4~6番歌)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2156.html (7~9番歌) 



第5番
奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき
猿丸大夫(男)


(人物および時代背景)

猿丸は、いわばペンネームである。
実名も生没年も不詳である。

同じペンネームを使う人物は一人だけではなく、時代を超えて複数いたのかもしれない。

太夫は公職にある人間であることを示している。
今風に言えば、匿名の政府高官筋とでも言えようか。

こういう匿名の人も、百人の中に選ばれていることに留意。

作者が匿名ゆえ、時代そのものが分からない。
したがって、時代背景は、文面より想像するしかない。


(歌の解釈)

奥山の奥は、天皇や公家のお住まいだろう。
紅葉は、お住まいにある、赤く染まった柱など煌びやかな象徴。

辰砂の赤い塗料は、神社の鳥居などでよく見かけます。

鹿は武士。
その鋭い角は、武士の象徴である刀を連想させる。

秋が深まると、鹿は交尾の時期を迎える。
オスはメスを求め鳴き、メスを巡って争う。
自分の遺伝子を残したいのだ。

おそらくこの武士は、台頭してきた平氏であろう。
本来は、天皇や公家の家来である。

秋は勢力が衰えてきた様を指す。
武士とは対照的に、朝廷の権威や権力は、日に日に落ちている。

本来は下級役人に過ぎなかった武士たちが、天皇や公家の住居にずかずかと乗り込むようになってきた。
そして、天皇や公家の子女を巡って、互いに言い争い合っている。
遠戚関係をもちたいのだ。

下品だ。
そして、なんと身の程知らずの連中なのだろうか。

とはいうものの、武士の台頭により、日に日に、朝廷の権力が落ちている事実がある。

そんな武士たちの声を聞くのは、まことに嘆かわしいなあ。
こういった趣旨ではなかろうか。

作者が匿名の政府高官なのは、こういう理由があるからである。
大っぴらに口外するのは、憚(はばから)られたのであろう。



なお、我が国には、このような自浄作用をもつ内部告発を受け入れる土壌があることも、併せて示している。





なおこの『鹿』とその振る舞いは、下記の歌とも共通するのだろう。

第8番
わが庵は 都の辰巳 しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり
喜撰法師(男)


(人物および時代背景)

喜撰法師なる人物は平安時代に実在したそうだが、その詳細は不明であり、ほとんど匿名に近い存在であったとも言えよう。
第5番目の歌と同様に、当時は大っぴらには言えないような状況だったのだろう。
(歌の解釈)

鹿は、秋の季語。
この秋も同様に、朝廷の権威や権力の低下している様を示す。

うぢは氏、宇治、そして蛆。

喜撰法師の住む都の南東(宇治)に、多くの武士たちが住むようになってきた。
新たに氏が与えられた新興勢力である。
どこからか湧いてきた蛆虫のように、山のようにたくさんいる。

そして、朝廷権力の低下とは対照的に、権力の中心へ台頭してきた。

平穏な日々を過ごしていたんだがなあ。







これらの歌の趣旨は、私には、このように感じましたが。
読者の皆さんは、どうだったでしょうか?

 
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 伝えたいこと - ジャンル : 日記

コメント

コメントの投稿

現在の閲覧者数: free counters