観察力を養おう

 
脳は主語が理解できない。
先日こんな記事を書いたんですが。
http://oyoyo7.blog100.fc2.com/blog-entry-2614.html

元記事は下記です。

http://matome.naver.jp/odai/2136590852040993701
人の悪口を言うと、自分自身が傷つく理由。【脳科学】
誰かの悪口を言うのは、自分の悪口を言うのと同じ???脳の仕組みからその謎を解説します。

更新日: 2013年05月11日

脳は主語が理解できない

私たちが日頃何気なく使っている言葉が、脳と体に大きく影響しています。例えば、脳は主語を理解できないという性質を持っています。

脳のしくみ
※ここで言う「脳」は、「古い脳」を指しています。

大脳新皮質(理性・知性の脳)を「新しい脳」、それ以外を「古い脳」と呼びます。

人間特有の高度な精神活動を担当する「新しい脳」のほうは主語を認識できているのですが、感情を司る「古い脳」のほうは認識できず、新しい脳から送られてくる情報をすべて鵜呑みにしてしまう性質があります。

だから、人の悪口を言うと、脳の中では自分が悪口を言われた時と同じ状態になる

つまり、相手の悪口を言うと、自分自身に悪口を言っていると判断し、自分も傷つき気分が悪くなります。

人をけなしてばかりいる人は、なぜか自己嫌悪に陥っていくのはそのためです。そして、より、人に対して攻撃的になります。
(自分が自分を無意識に攻撃している状態となるわけですから逃げようがありませんね)

スポーツの試合で、どうしても勝ちたくて
【あ~相手がミスればいいのに】
【相手のシュートが入るな ! 】
などと思うことが、ありますね !

それは、知らないまま自分で自分に呪いをかけていることになっているのです。

反対に相手を褒めてあげると、自分が褒められたと思い、気分が良くなり自尊意識が高まります。

タイガーウッズは、ココ一番の大勝負の瞬間、対戦相手が上手くいきますように!と祈るそうです。

相手という自分に余計な呪いをかけない!だから自分を妨げる思いが少ないのです。その結果あれだけの成果を出せるのです。

凡人とは逆の思考なのです。

この脳の特性を理解し、良い言葉を日常的に使うようにしましょう。
相手にかける言葉を大切にすることが、結果的には自分自身も大切にしていることにつながります。




なるほど、考えれば考えるほど、そのとおりです。
この一文は、思っているよりもすそ野が広いですね。

理解できない行動をとる人がいますね。
自己中心的な性格をもつ人です。

周囲に害を及ぼさなかったら、まだまぁ構わないんですが。

とにかく関わると、その害は強烈です。
関わる人は不幸にされてしまいます。

多くは、その当人には自覚がありません。

人格障害とも呼ばれます。
一種の精神的な疾患を患っている人ですね。

私も家庭や学校や職場等で、長い間、苦しめられてきました。

自己中の人に絡まれていると他人が見えなくなり、結果として絡まれていた人にも自己中が移ってしまいます。
神経質な人ほど無神経なものなんですが、その無神経な人のせいで、新たに神経質な人が再生産されるんですね。



http://karadanote.jp/4906
メンタル
自己中って実は人格障害なの?色々な人格障害
著者: akiakiさん


身近な人で「理解できない人」「自己中すぎる人」「疑い深い人」など居ませんか?

その人はもしかたしたら人格障害という精神疾患を患っている方かもしれません。

そしてそんな自分に悩んでいる方なのかもしれません。



人格障害とは

人格障害はパーソナリティー障害とも呼ばれています。

その人の持っている「人格」が常識から外れてしまっていて、社会生活に障害を来します

長期に渡ってその人格が定着しているので、精神的苦痛を伴う場合が多いのです。



人格障害と一言で言っても色々なタイプが存在します。

今の所学会などで発表されているのは10種類です。その中から筆者が多いと予測するタイプを紹介していきます。



1.妄想性人格障害



猜疑心(猜疑心)が強く、嫉妬深いのが特徴です。(※猜疑心とは相手の行為などを疑ったり妬んだりする気持ちです)

例1:十分な根拠がないのに、他人が自分を利用したり、危害を加えたり、だましているという疑いを持つ

例2:人の言葉を深読みしたり、親切をも疑う。また自分が馬鹿にされたことなどを恨み続ける




2.境界性人格障害



常に衝動的で感情の起伏が激しい。その為に人付き合いが常に上手くいかないのが特徴です。

例1:衝動的にケンカ、過食、リストカットなどを行い、衝動買いや衝動的に大量のアルコールを飲むなどをする

例2:感情が不安定で、場に合わない激しい怒りを持ち、それをコントロールすることができない為、暴力に走ってしまう



3.自己愛性人格障害



自己愛性人格障害には無自覚タイプと過剰警戒タイプがあります。無自覚タイプは母親の過剰な過保護により生じます。特徴として「自分は特別な人間だ」と思い込んでいます。過剰タイプは「自分はもっとすごい人間なんだ」と空想してそれを口にするのが特徴です。「自己中」の代表的なタイプが自己愛性人格障害です。



治療方法は?



まず、放っておいて治るものではありません。奥深く根付いているものです。

身近な方が悩んでいるようなら精神科へ行く様に促すようにしてください。

人格障害はお薬とカウンセリングで改善されます。



この記事を読んでいる方で悩んでいる方はいち早く医師の診察を受ける事をお勧めします。




ではそういった心の病に罹らないためには、どうすればよいでしょうか?
神経質な人として再生産されないための秘訣です。

脳(古い方の脳)は主語が理解できない。
つまり、元々自他の区別ができないんだから、誰に対してもポジティブな言葉を用いる。
タイガーウッズのように、こうするのも一つの手ですが。

それに加えて私が思うこと、それは。

自他が区別できないんなら、区別する努力をする。
これがもう一つのアプローチの仕方です。

新しい方の脳を鍛えるんですね。

それはつまり、他人を観察する習慣をつけることです。

単にその人の性格や好きなもの、嫌いなものを知ることではありません。
どういう背景をもって生まれ育ってきているとか、そういうことだけでもありません。

これらは、過去~現在のことです。

重要なのは現在~未来のことや、架空の事象。
いま何に困っていて、これからどうしたい、あるいはどうして欲しい。

将来に、ある問題にぶつかった時に、その人ならどう振る舞うか?
これがほぼ正確に予想できるようであれば、観察力が身に付いたと言えるでしょう。

観察力を養えば、その当然の結果として、思いやりの心も出てくるのではないでしょうか?
人の心です。

これはまさに新しい脳を鍛えること、そのものですね。

おまけに、他人を観察することで、自分自身についてもよく分かるようになるでしょうね。
自他の違いが分かるようになります。

つまり、観察力を養えば、人間性も同時に養える。
そういう気がしますね。




ちなみに、こういう方には、できるだけ関わらない方が良いかと。
まぁ、身近な場合、避けるのは難しいんですがね。

・自分の欲しいものを、子供も欲しがっていると思っている親。
 良い成績とか、学歴とかですね

・自分の欲しいものを、相手も欲しがっていると思っている同級生。
 多くは趣味のものですね。

・自分の欲しいものを、生徒も欲しがっていると思っている先生。
 良い成績とか、学歴とかですね。

・自分の欲しいものを、部下も欲しがっていると思っている上司。
 成功とか出世とかですね

・自分の欲しいものを、社員も欲しがっていると思っている社長。
 地位とか名誉とかですね。

とにかく、こんな人が自分の近くで上に立つと、周囲が歪みます。
他人の欲望に応じて、自分を動かすと、精神が病みます。
逃げ遅れた人が、精神的な被害に遭います。

自他の区別ができていません。
要注意です。

 
 
余談ですが、いい話なので、紹介しておきます。



江戸時代に、サルを描かせれば当代一と謳われた森狙仙(そせん)という画家がいたそうです。

でもこんな有能な人でさえ、まだ若い頃でしょうか、展覧会で酷評された経験があるのだとか。
それに対して、狙仙はムカッとしてしまった。

でも本当は、未熟な自分自身を恥じるべきだったんですね。
理由を聞くまで、それが分からなかった…。

人間の成長とは、こういうことなんだと思います。
一流と言われる人は、こういった関門を乗り越えた人なんですね。


※ 答えは、空白部にあります。
  (ドラッグすれば文字が出ます)

https://sites.google.com/site/nawafumihitosreadinglist/seimei-shikou
生命思考
石川光男・著  TBSブリタニカ

森狙仙の三匹のサル


 江戸時代の中期から後期にかけてサルを描かせれば当代一と謳われた森狙仙(そせん)という画家がいた。狩野派の画風から出発し、円山応挙の画風も採り入れ独自の画風をつくり上げた画人として知られる。

 あるとき狙仙が三匹のサルを描き、自信をもって展覧会に出品したところ、見に来ていた当時すでに大御所だった応挙が「このサルの絵だけはいただけない」と酷評した。狙仙はムカッとして「いったい私の絵のどこがよくないのか」と応挙を問い詰めると、応挙は「ここには三匹のサルが描かれている。しかし私の目に狂いがなければ、これは一匹のサルを見て、姿形を変えて描いたのだろう」と断じた。一匹のモデルを三匹に描き分けたにすぎないと応挙は言うのであった。さらに応挙はこうも批評した。

 「あなたの描いたサルは自然の中のサルのように見せているが、やはり私の目に狂いがなければこのサルは飼いならされており、野生ではない」

 森狙仙は真っ青になった。応挙の指摘は全く正しかったのである。狙仙は満座の中で恥をかかされて逃げるようにして家に帰り、「自然のサルが本当に描けるようになるまで家には帰らない」と奥さんと子どもを残して山にこもってしまった。

 それから数年して戻って来た狙仙は再びサルの絵を描き、自分の名を伏せて出展した。そのときも円山応挙が見に来ていた。狙仙は応挙がどう言うか身を堅くしていたところ、「これは実に美事な絵だ。サルが生きている。この絵は森狙仙だ」

 と応挙はうめくように激賞したのであった。

 実はこの話は「花吹雪野猿の図」という講談の一節であるが、興味深いのは応挙がサルは一匹ずつちがう生き物であるということを見抜くところにある。



 
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