小倉百人一首 第21番、第23番

 
今いろいろと調べているんですが、百人一首の中には、隠語が隠されていますね。

春夏秋の季節は、その天皇による治世が開始し、軌道に乗り、そして凋落し終焉を迎えることを示しています。
このあたりは容易に想像できますね。

鹿が武士を表していることは、以前の記事で述べました。
現在気になっているのは、「月」

天皇が太陽神であることは、天照大神から分かりますね。
その一方で、月は同じように天空を回りながらも、太陽ほどには輝きません。

となると、これは既に退位した天皇、すなわち上皇や、出家していれば法王を指すものと考えると良さそうです。
特に、「ありあけの月」なんかは、その象徴的な表現ですね。

ありあけの月とは、翌日、すなわち次の朝になっても、空にぼんやりと浮かんでいる月。
代替わりして、権威を失なった上皇(あるいはその血統)とみるべきでしょう。

下記の記事でも、そのように触れました。

崇徳天皇の噂は本当かも
http://oyoyo7.blog100.fc2.com/blog-entry-2645.html

これをキーワードとすると、第21番歌、第23番歌の真意が読み取れます。
第20番に、第57代陽成天皇の第二皇子である、元良親王の歌があります。
元良親王と関係があるということです。

元良親王は、下記の歌を詠んで、謹慎させられてしまいます。
そのお相手が、宇多天皇の妃(藤原褒子)だったためで、まぁ仕方のないことですが、でも本来ならば元良親王が天皇になっていてもおかしくはなかった、という事実があります。

陽成天皇からすれば、元々は宇多天皇は自分の家来だったからです。
血統上は、陽成系が直系であり、光孝系は傍系なのですね。

(ウィキペディアより)
皇統図 54~60代

第21番、第23番歌は、この元良親王の処遇を巡って作られた歌ですね。
以下に、これらの歌の真意を述べます。



第20番
わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
元良親王


元良親王とは、第57代陽成天皇の第二皇子です。
陽成天皇は、9歳で即位しましたが、粗暴な行ないにより17歳で退位させられた天皇です。
(ただし表向きは、病気による自発的な退位)

第21番
今来むと いひしばかりに 長月の 有明けの月を 待ち出でつるかな
素性法師


素性法師は桓武天皇の曾孫で、(第54代)仁明天皇から(第59代)宇多天皇の時期の人物。宇多天皇の時代に、しばしば彼の歌会に招かれている。

有明の月とは、夜が明けても空に残っている月、つまり退位した天皇(上皇)。(第57代)陽成院を指しているものと思われる。長月とは陰暦9月で、秋の最後の月。つまり権威・権力のすべてをほぼ失なった状態を示す。
若くして退位した陽成院。血統は既に傍系の(第58代)光孝天皇系へと移っている。作者:素性法師は、再び直系である陽成院系へと戻し、彼の親王である元良親王が即位することを、もう長い間、今か今かと期待している。

第22番
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ
文屋康秀

第23番
月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど
大江千里


大江千里は第59代宇多天皇に仕えた人物、個人名であり、職位でないことに注意。つまりこの歌は、個人的な見解である。宇多天皇の側からの意見ではない。

月を先帝の血統と解釈すると、(第57代)陽成院の元良親王を指しているものと思われる。
秋は既に権威・権力が移行し、失なってしまった状態を示す。陽成院と宇多天皇の不仲を嘆いた歌である。私(大江千里)だけが感じているわけではないのだが…、悲しくなってくるが、もう元良親王の即位はないのであろうか、そういう思いである。宇多天皇に仕える立場上、こういうことは非常に言いにくいはずである。だからこそ、個人名なのである。

 
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