小倉百人一首 終盤の歌

 
小倉百人一首。
終盤の歌を簡単にまとめてみました。

この時期に皇統図は、以下のとおり。

(ウィキペディアより)
皇統図 第71代~76代

第77番
瀬を旱み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ
崇徳院


崇徳上皇と近衛天皇の間で、皇室が割れたこの時期。
崇徳上皇は、仲良くして欲しいと願っていたようですね。


第79番
秋風にたなびく雲の絶え間よりもれいづる月の影のさやけさ
左京大夫(藤原)顕輔


左京大夫(藤原)顕輔は、崇徳天皇に重用された人物。
崇徳天皇は譲位し上皇になった後は、和歌の世界に没頭し優れた功績を残している。

秋は、近衛天皇による治世が衰退し始めたことを指す。
月は皇位を退いた天皇、すなわち崇徳上皇を指す。

近衛天皇の治世に衰えが見えてきたが、その一方で崇徳上皇の爽やかさが際立っている。
そういう崇徳上皇を称える趣旨である。


第80番
長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝(けさ)はものをこそ思へ
待賢門院堀川


待賢門院堀河は、崇徳、後白河の両名の母:藤原璋子に仕えた人物。
争いの原因を作った当人を、間近で見てきた人物です。

その後皇室を分かち長く続く確執・対立は、白河上皇が自分の孫:鳥羽天皇の后と浮気したことから始まりました。
ここまでこじれると、もはや手の打ちようがないという、諦めの気持ちが感じ取れます。


次からは、六条天皇や、平家とともに滅んだ安徳天皇に関する和歌が出てきます。

(ウィキペディアより)
皇統図 第77代~88代

第82番
思ひわびさても命はあるものをうきにたへぬは涙なりけり
道因法師


道因法師は、平安時代後期の人物。

生後8か月で即位し、3歳で退位させられた第79代六条天皇。
その後元服を行うこともなく11歳で崩御。
彼に対する冷たい扱いを嘆いた歌であろう。


第83番
世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
皇太后宮大夫(藤原)俊成


皇太后宮大夫(藤原)俊成は、平安時代後期から鎌倉時代初期の人物。

奥は天皇の住む御殿。
鹿は武士。

武士:源氏、平氏の台頭により、朝廷の権威・権力が低下してきた。
道理がなくなりつつある様を嘆いた歌である。


第89番
玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする
式子内親王


式子内親王は、安徳天皇の叔母。
玉は勾玉、すなわち天皇家を指す。

長い間にわたって代々継いできた皇位と天皇家。
安徳天皇が源氏に暗殺され、いまその終焉の危機にある。
必死に耐えているが、それももう少しでくじけそうだ、という気持ちを表した歌である。


第91番
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろにころもかた敷きひとりかも寝む
後京極摂政前太政大臣(藤原良経)


後京極摂政前太政大臣(藤原良経)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿。

アリとキリギリスというイソップ寓話があるが、その寓話の中でのキリギリスは、鳴くだけで働かない。
この歌にあるきりぎりすも同様に、和歌を楽しむだけで働かない公家を、痛切に風刺したものであろう。

秋が深まって霜が降るほどの寒さがやって来たら、案の定、冷たいむしろで寝る羽目になってしまった…。
歌を詠むだけで働かないし何の準備も貯えもしないから凋落し、武士に権力を奪われてしまった。

そういう嘆きや後悔を表した歌であろう。


第93番
世の中は常にもがもななぎさ漕ぐあまのを舟の綱手かなしも 
鎌倉右大臣(源実朝)


鎌倉右大臣(源実朝)は、鎌倉幕府第3代征夷大将軍。

あまのを舟とは、天皇および朝廷のことであろう。
その舟を綱で引っ張っているのは、自分たち(源氏の)武士だ。
こういった世の中が、ずっと続いてほしいものだ。

天皇家と対比させるため、武士の代表としてこの歌は採り上げられている。


第97番
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつつ
権中納言(藤原)定家


権中納言(藤原)定家は、この小倉百人一首の選者である。
後鳥羽上皇に引き立てられ、のちに確執から謹慎処分を受ける。
後鳥羽上皇の失権に伴って復権を果たす。



第98番
風そよぐならの小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける
従二位(藤原)家隆


風がそよぎ、小川がせせらぐ平穏な日々。
これは春だろう、つまり新しい天皇(後鳥羽天皇)による治世が始まったことを示す。
夏は、その治世が軌道に乗ったことを示す。

安徳天皇が追われ、天皇が都に不在になったことから、政務が滞るようになった。
安徳天皇が退位しない状況の中、神器のないままで即位した。
(したがって、この時期には天皇が二人いたことになる)
このことが後々まで、後鳥羽院のコンプレックスになっている。

神器のないまま、不自然な即位をしたのだが、世の中には嵐が吹き荒れることもなく、川の水が溢れ出すようなこともない。
極めて平穏無事に過ぎている。
これは新しい天皇が世間に認知されたということ、すなわち禊は済んだということを示している。
さあ、思いっきりやって下さい、そんな趣旨の歌であろう。


第99番
人も惜し人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑにもの思ふ身は
後鳥羽院


朝廷から公家に権力が移り変わる、まさにその過渡期に存在した天皇。
後に承久の乱を起こし、武士への抵抗を図るが、あえなく敗退。
捕まえられ、隠岐の島へ流される。

別名顕徳院。
『徳』の字のつく天皇である。



第100番
ももしきや古き軒ばの忍ぶにもなほあまりある昔なりけり
順徳院


後鳥羽天皇の子。
承久の乱で敗退し、佐渡へ流される。

広い御殿に住んでいたのだが、いまとなってはもう遠い昔のことのようだ。
こういう趣旨の歌である。

 
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