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水無瀬絵図の解釈

 
小倉百人一首の水無瀬絵図。
欠けていた左三列分のキーワードを含む、すべてのものです。
各カラムの数字は、歌の番号です。

配置背景となる「関連語句」入りの配置図

左上の隅は、式子内親王(第89番)。
安徳天皇の叔母です。

右上の隅は、順徳天皇(第100番)。

左下の隅は、後鳥羽天皇((第99番)。
顕徳院とも呼ばれます。

右下の隅は、歌の選者である藤原定家(第97番)

天皇は8人選ばれています。

残り6人は、天智天皇(第1番)、持統天皇(第2番)、陽成天皇(第13番)、
光孝天皇(第15番)、三条天皇(第68番)、崇徳天皇(第77番)。

なかなか意味深ですね。
選ばれた天皇も、その配置も。

もう一度、水無瀬絵図を見てみましょう。
京都ほど明確ではないですが、風水を意識させられる土地柄ですね。

だからこそ、離宮が建てられたのでしょう。

「百人一首は歌織物 秘められた水無瀬絵図」3

四神です。
東の青竜(せいりゅう)・南の朱雀(すざく)・西の白虎(びゃっこ)・北の玄武(げんぶ)。

北の玄武は山、南の朱雀は広がる平野または海。
東の青竜は川、西の白虎は道路を表わすそうですが。

方位を少し左に傾けると、概ねこの配置に一致します。
離宮は水無瀬川の西にあります。

一方、選ばれた天皇。

いわゆる四徳:崇徳、顕徳、順徳、安徳の4人の天皇のうちの、3人までもが選ばれています。
安徳天皇は幼少であり歌を残せなかったので、その代わりとして叔母の式子内親王が選ばれているように感じられます。
実質的には4人全員ですね。

この四徳の「徳」の字。
井沢元彦によると、「殺害されたり辺地や流刑地で没したりした天皇に、怨霊封じのため贈られた美称」

何度か紹介していますが、いわゆる呪いの文字ですね。

(し、おくりな) (ウィキペディアより)

諡字による諡号の意味

日本の諡号に用いられた諡字について、次のような説がある。

「徳」‐殺害されたり辺地や流刑地で没したりした天皇に、怨霊封じのため贈られた美称である(井沢元彦の説 - 逆説の日本史より)。

・元々は懿徳天皇や仁徳天皇のように、本当に徳のある(と考えられた)天皇に贈られた。

・飛鳥時代末期から鎌倉時代初期にかけて、皇太子に実権を握られ都に置き去りにされ崩御した36代孝徳、藤原良房と対立したために内裏に住むことができなかった55代文徳、流刑先で崩御した75代崇徳、82代顕徳(後に後鳥羽と改めた)、84代順徳、平家滅亡の際に入水した81代安徳が該当する。また、崇徳、顕徳、順徳、安徳の4人の天皇をまとめて「四徳」と呼ぶことがある。なお井沢説によると、徳の諡字が怨霊封じとして贈られた最初の例は(天皇ではないが)聖徳太子とされる。

・ただし怨霊封じのために徳の字を贈る習慣が続くと、逆に「徳の字を贈られた天皇は、怨霊となる可能性のある悪天皇だ」という認識になり、「顕徳」の諡号を贈った天皇の霊が立腹し祟りをなした(と考えられた)事件が起きたため、改めて「後鳥羽」の諡号を贈り直す事となり、怨霊封じとしての徳の字の使用は終焉した。

・南朝の96代後醍醐天皇には、当時対立していた北朝から「元徳院」の諡号を贈る案が出されたことがある(実際には本人の遺諡により後醍醐と追号された)。

・「四徳」や「元徳」は、追号が続いていた時代に諡号を贈られたこと自体が、異例のことである。



これらの天皇を、この水無瀬絵図(10×10)に配置してみましょう。

順徳天皇は右上の隅。
方位でいえば東北の角、つまり鬼門の方角。
陰陽道では、鬼が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角だとされています。

後鳥羽天皇(顕徳院)は、左下の隅。
方位でいえば南西の角、つまり裏鬼門の方角。
鬼門と同様に忌み嫌われる方角ですね。

式子内親王(安徳天皇の叔母)は、左上の隅。
方位は北西。

右下の隅は、藤原定家。
方位は南東。

これらの配置は、偶然の結果ではないですね。
明らかに最初からこう意識して、注意深く選ばれたというべきでしょう。

一方、崇徳天皇は、この水無瀬絵図(10×10)のほぼ中央に位置しています。

これらから、選者の藤原定家は、後鳥羽天皇、順徳天皇を忌み嫌っていたことが窺えますね。
それに対し、崇徳天皇に対しては、世間の噂とは逆に、特に彼を嫌ってはいなかったことが窺えます。
安徳天皇に対しても、同様というか、悪い意味での特別視はしていないですね。

まとめると、、、

崇徳上皇vs近衛・後白河天皇の対立は、崇徳天皇側が正統、近衛・後白河天皇は閏統。
安徳天皇が正統、先帝の譲位も崩御もないまま不自然な即位をした後鳥羽天皇は閏統、その子順徳天皇も同じく閏統。
(注:閏統は偽物ではないが、正統よりは格が下がるという意味)

藤原定家は、小倉百人一首を選んだ中で、何気にこう後世に伝えたかったように、感じられます。

ちなみに、これらへの認識は、私も全く同じです。
歴史を知ると、こういう結論に落ち着きます。

 
 
<追記>
 
天智系の天皇が選ばれる一方で、天武系の天皇は選ばれていません。
持統天皇は天武天皇の后ですが、もともとは天智天皇の娘であり、その名のとおり、天智天皇の血統を持っている人物です(天武天皇の血統ではない)。

天智系が選ばれているのに対し、天武系の天皇が全く選ばれていないのも、両者の正閏論を示唆しているようにも感じられます。

 
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コメント

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あられ屋さんの70首のパズルはなんとか解けましたが, 残りは難しくて諦めかけていました。 ヒントだけ拝見して、自分で探してみようと思います。 ありがとうございます!

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