安保関連法案と安保闘争

 
安保関連法案の採決は、7月16日に決まったそうですね。
(延長した)会期末(9月27日)までには、自然成立することになりそうです。

さてこれに重なるのが、安保闘争に学生運動。
当時の事件等の時系列を、下記に記しました。

60年当時は、採決の前後に、デモ隊と治安当局が、激しく衝突しているんですね。
今回もそうなるのかも知れません。
とりあえず、この一週間が要注意でしょうかね。

当時は首相が自衛隊の出動を要請したが、防衛庁長官と国家公安委員長が反対したそうです。
でも今回は、そうはならないでしょうな、訓練もしたし。(笑)

安保闘争 (ウィキペディアより)

安保闘争(あんぽとうそう)とは、1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)、1970年(昭和45年)の2度にわたり、日本で展開された日米安全保障条約(安保条約)の与党自民党による慎重審議なくして強行採決を行ったことに関して反発した国会議員、労働者や学生、市民および批准そのものに反対する国内左翼勢力が参加した日本史上で空前の規模の反政府、反米運動とそれに伴う政治闘争である。自由民主党など政権側からは、「安保騒動」とも呼ばれる。

60年安保闘争では安保条約は国会で強行採決されたが、岸内閣は混乱の責任を取り総辞職に追い込まれた。しかし70年安保闘争では、闘争に参加していた左翼の分裂や暴力的な闘争、抗争が激化し運動は大衆や知識人の支持を失った。

60年安保闘争の経緯

1959年(昭和34年)
 ・3月 - 日本社会党、日本労働組合総評議会(総評)、原水爆禁止国民会議(原水禁)などが安保条約改定阻止国民会議を結成。
 ・3月30日 - 東京地裁で日米安保条約に基づく米軍の駐留を憲法違反とする判決(砂川事件・伊達判決)。
 ・10月 - 社会党の西尾末広が改定阻止国民会議に反対を表明し離党。
 ・11月 - デモ隊が国会構内に乱入。

1960年(昭和35年)1月19日 - 日米政府間で条約調印。
 ・1月24日 - 西尾末広らが民主社会党結成。
 ・4月 - 全学連が警官隊と衝突。
 ・5月20日 - 衆議院で強行採決。以降、連日デモ隊が国会を囲む。
 ・6月11日 - ハガチー事件(大統領秘書が来日するが、羽田でデモ隊に包囲されヘリコプターで脱出)。
 ・6月15日 - 全学連と警察隊の衝突で、大学生樺美智子死亡。
 ・6月17日 - 在京新聞7社が共同声明でデモ隊の暴力を批判、社会党に国会審議復帰を呼びかける。
 ・6月19日 - 条約が自然成立(23日に発効)。
 ・6月23日 - 新安保条約の批准書の交換、全手続きを終了。岸内閣総辞職を表明。
 ・7月14日 - 自由民主党総裁選挙。池田勇人を自民党第4代総裁に選出。総理大臣岸信介が暴漢に襲われ重傷を負う。
 ・7月15日 - 岸信介内閣が総辞職。
 ・7月19日 - 池田勇人、内閣総理大臣に就任。第1次池田内閣が発足。
 ・10月12日 - 日本社会党委員長の浅沼稲次郎が、山口二矢(当時17歳)に暗殺される。
 ・11月20日 - 11月20日第29回衆議院議員総選挙。自民党が議席を増やす。




この安保闘争や学生運動。

これらは、終戦後から引きずる民族闘争の色が濃いかったんですね。
当時まだ子供だった私には分かりませんでしたが。
とにかく暴力的な面だけが記憶に残っています。

いま一見なりを鎮めているのは、彼らが既にマスゴミを支配下に置いているからでしょう。
デモの現場等で激しくせめぎ合うよりも、はるかに簡単で犠牲も少なく効果も高いからです。

つまり、彼らは高等戦術に出てきたんですね。
戦いの場をテレビや新聞などの報道に変えてきました。

でももちろん治安当局はこの事実を知っているから、何か暴発的な事件が起こった時はマスゴミも殲滅の対象。
同じ穴のムジナですな。

個人的には、多少の犠牲は出ようとも、大掃除ができる方を望みます。
被害を受けたくなかったら、彼らに近づかないことですね。

 
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : ひとりごと。 - ジャンル : 日記

コメント

コメントの投稿

現在の閲覧者数: free counters